ポコログ

発達の遅かった息子とADHDっぽい夫との日常をパニック障害もちの主婦が書いています

ちょっと変わってる父

父は自他ともに認める変わった人で、数年前に他界するまで、芸術関係の仕事をしていた。

父は家ではほとんど話さなかったし、会話のキャッチボールが苦手で、父に話しかけられてそれに答えた後に父から返ってくる言葉がかみ合わないことも多かったのだけど

そもそも私の中の芸術家のイメージは

芸術は爆発だ

スパーキングっ!!!

そう

スパーキングなのだ(適当な感覚で言ってます

芸術家ってそんな感じなんだろうと思って普通に受け入れていた。

特に父は独自の感性で創作に取り組んでいたので、一般的な感覚しか持っていなかったら、父の作品はできていなかったのだろうと(売るよりも教えることが中心だったのだけど)。

私が学生の頃は、周りの友人のお父さんたちもみんな仕事人間で、育児は母親しかやっていないことが多かったから、特に寂しさとかを感じることもなく。

私がよく遊びに行っていた友人のお父さんも、毎日残業で帰りが遅く、休日も出張や付き合いゴルフなんかで家にいたことがなかったと。

その友人のお母さんが豪快でたくましい人で、私もいろいろお世話になったんだけど

友人が結婚することになって、荷物をまとめていたときに父親がやってきて、涙をにじませながら「まだ結婚するまで日にちあるし、そんなに急いで荷物まとめなくていいよ」と寂し気に言ったときに、友人のお母さんが

そのセリフを言ってる姿が浮かんで大笑いしたわ~。母強し。

そんな感じで、お父さんは家にいない。の方が多かったし

あまり話さないお父さん。も結構いたと思う。

私の父はそもそも人に対して持っている愛情が薄かったように思う。

自分の子どもとの関わり方が分からず、子育てにも参加していないから、お互いよそよそしく壁のようなものが常にあったけど、本人比で愛情は確かにあったと思う。

オレンジジュースにたとえるなら(なぜたとえようと思ったのか?笑)

果汁20%のオレンジジュースみたいな感じ。薄くて何味か分かりにくいけど、薄いだけできちんとオレンジ成分は入っている(このたとえが合ってるかも分からないけど☆)。

空気を読まない発言で周囲を焦らせることも多かった父だけど、私が家族の誰にも相談せずに1人思い悩んでいるときに私の様子がおかしいことに気づくのは父だった(私に直接は言わないんだけど)。

うーん、そう考えると結構他の人の感情を読み取っていたような気がする。オーラとか魂の形で見ていたのかもしれない笑。

まさにドント シンク!フィール!だったのかも。

人との関わり方も生き方も不器用で感覚が他の人と違くても、本人は困り感や生きづらさを感じることなく、好きな仕事に没頭できた父の人生は充実したいい人生だったと思う。物事の独特の捉え方も仕事に活きていたわけだし。

たとえ生きづらさを感じていたとしても、自分に合う仕事を見つけて、周りの人たちに恵まれれば誰でもどうにかやっていけるんじゃないかと思うし、そうであってほしい。

実家に行ったときに、柄付きの天井を見ていてふと気づく

ざんしーんっ!!!

白い天井がキャンバスに見えていたのかもしれない